2012年1月8日日曜日

死の壁

抽象的な事柄を考えるのが好きな性格なので、このブログの中で、たま~に自身の考えている事を
文章化させて頂こうと思います。

私が好きな著者の一人である養老孟司さんの著書の中に「死の壁」という本がございます。
かの有名な「バカの壁」の続編であるが、その中にこのような感じの記載があります。

「人間は都市化と伴って、人間として当然である姿を見る機会をどんどんと減らしている」
つまり都市では、トイレは水洗であるし、葬式は火葬である。
かつて人間が生活する中では、便や死者は当然のように見えるべき存在であったが、
都市化によって、そのような(あまり目にしたくない)姿を見ることがなくなってきている。

この文章は確かに!!と、非常に共感を得るものでした。
同様の類の文脈として、

「警察署には、今年の交通事故者数などが記載されているが、そこでは人の死を単なる数字に
置き換えている」

共通するものとして考えれらるのは、最近は物事を実体としてではなく、知識や記号で表す傾向にあるということではないでしょうか?
学校では多くの歴史や科学など知識を豊富に得ることができますが、なかなか実体として理解する
のには限界があるのだろうなと思います。「世界では、一日に○○万人の人間が飢餓で亡くなって
います」という数字は典型かもしれません。

情報化社会によって、多種そして多量の情報を容易に得ることができる時代になりましたが、それによって、数字とそれが意味するモノが分離している気がします。

同様に、私も実際の仕事と自信の考える実感がずれた経験はありますが、そのような「差」を埋めることが
できるのも、途上国でも労働の醍醐味ではないだろうかと思いました。

(果たしてどちらが良いのか、私には判断できませんが…)

0 件のコメント:

コメントを投稿