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2012年6月24日日曜日

8週目:PNGに来てから3か月(6月24日)


家近くの丘から、タウン側を見下ろす



 時間が経つのは早いものですね。パプアニューギニアに派遣されて約3か月が経ちます。任地のウェワクに住み始めて2か月です。日本はいま梅雨シーズンでしょうか。これから暑い夏がきますね!!かき氷のシーズンですね!! PNGは常夏です。


 ウェワクに赴任してからの2か月を振り返ると…

言葉もなかなか通じない中での初出勤、街を案内されて、色んな偉い人に会って、名前を全く覚える事ができずに、親しい同僚に後から「あの人の名前なんだっけ??」「どこで働いている人??何担当の人??」みたいな感じで日々を過ごしてました。でも少しずつ言葉のコミュニケーションが取れるようになって、関係者の顔も覚えてきて、停止していた活動も徐々に再開してきて、ちょっとずつではありますが、現在の環境に慣れてきております。もちろん、良い事ばかりではなく、嫌な思いをすることもありましたが、充実した導入期間になったのではないでしょうか。


 来週からは、国内の隊員が全員集まっての隊員総会があるため、首都に上京する予定です。同期のみんなと久々の再会です。バイクの安全講習なども同時開催のため、2週間ばかりウェワクを離れる事になります。

 帰ってきたら、活動に対して本格的に乗り出す事になります。

2012年6月8日金曜日

挨拶


ふとした時に思います。

「ここは日本じゃなくて、パプアニューギニアなんだ」

日本とは全く異なる環境の中にいるのに、それを肌で実感するのは非常に難しい。物事の変化に対する実感は、自分が想像していた以上に小さいのかも知れません。

 それは(以前、養老孟司さん死の壁について書きましたが)現代人の一つの特徴かもしれませんし、単に僕がドライなだけかも知れません。



 日本ではあまり考えられない事ですが、こちらでは相手が顔見知りかどうかは関係なく、道行く人にあいさつをします。もちろん会う人会う人全員にする訳ではないですが、こっちが挨拶をすると、ちゃんとあいさつを返してくれます。



 「アピヌン!!」 「アピヌン!!」



 時には、手のしぐさだけで挨拶が終わる事もありますが、僕はこのやり取りが結構好きです。お互いが笑顔になります。会話のキャッチボールの中で得られる笑顔とは少し違う、もっとささやかな笑顔。日本ではあまり感じた事のない感覚でした。
だから、この一瞬のやり取りの中で「ここは日本じゃないだなぁ」という事を実感できます。日本にいた時よりも、感覚が研ぎ澄まされているような気がします。研ぎ澄まして初めて、「肌で実感する」のかも知れません。

2012年4月27日金曜日

公衆衛生についての考え方(4月20日)


雨季も終わりでしょうか。雨が減りました

 こちらの学校の生徒との話の中で、学校科目のひとつに「Health」というモノがあることを知りました。あまり深くは教えてもらっていないのですが…「食事の後は歯磨きをしましょう」とか「トイレの後は手を洗いましょう」といった内容です。毎学年継続的に学習していく科目というよりは、短期間で終わる科目のような感じでしたが、PNGにも衛生に関する基礎的な学習があることには驚きました。

 しかし、それらの教育がどれだけ浸透しているかは分かりません。日本人でも、かなり細かい人でないと「帰宅後は手洗い・うがい」はしていないと思います。少なくとも僕は、あまり注意をしていませんでした。日本では基本的な衛生環境があまりにも良いので、感染症には繋がらないですが…
街を見渡すと汚水の水溜りの近くで子供が遊んでたり、ゴミが散乱していたり…もちろん子供の栄養価も低いと思いますので、これが感染症のパンデミックに繋がる可能性はあると思います。などなど考えていたら途方にくれるのですが、いつの日かこのような衛生面の改善をする仕事に就けたらと思う日々です。

2012年1月8日日曜日

死の壁

抽象的な事柄を考えるのが好きな性格なので、このブログの中で、たま~に自身の考えている事を
文章化させて頂こうと思います。

私が好きな著者の一人である養老孟司さんの著書の中に「死の壁」という本がございます。
かの有名な「バカの壁」の続編であるが、その中にこのような感じの記載があります。

「人間は都市化と伴って、人間として当然である姿を見る機会をどんどんと減らしている」
つまり都市では、トイレは水洗であるし、葬式は火葬である。
かつて人間が生活する中では、便や死者は当然のように見えるべき存在であったが、
都市化によって、そのような(あまり目にしたくない)姿を見ることがなくなってきている。

この文章は確かに!!と、非常に共感を得るものでした。
同様の類の文脈として、

「警察署には、今年の交通事故者数などが記載されているが、そこでは人の死を単なる数字に
置き換えている」

共通するものとして考えれらるのは、最近は物事を実体としてではなく、知識や記号で表す傾向にあるということではないでしょうか?
学校では多くの歴史や科学など知識を豊富に得ることができますが、なかなか実体として理解する
のには限界があるのだろうなと思います。「世界では、一日に○○万人の人間が飢餓で亡くなって
います」という数字は典型かもしれません。

情報化社会によって、多種そして多量の情報を容易に得ることができる時代になりましたが、それによって、数字とそれが意味するモノが分離している気がします。

同様に、私も実際の仕事と自信の考える実感がずれた経験はありますが、そのような「差」を埋めることが
できるのも、途上国でも労働の醍醐味ではないだろうかと思いました。

(果たしてどちらが良いのか、私には判断できませんが…)